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オススメのヴィーガン活動家エド・ウィンターズと動画

更新日:2022年11月3日

動物性製品を取り入れないライフスタイルで肉・魚・乳製品・卵を食べず、革・ウール・シルク・ファーを身に付けない生き方がヴィーガン。(ヴィーガンの定義についての記事はこちら


このページにたどり着いたあなたはヴィーガンについて少なからず知識をお持ちの方でしょう。動物、環境、健康、ファッション、色々な理由でヴィーガンを知る人がいると思いますがその根本は「動物の命を奪わない」ことです。



TEDxにも出演したヴィーガン教育者



早速ですが今回はイギリス出身でヴィーガン教育者のエド・ウィンターズ氏の大学での講義の様子を映した動画をご紹介します。



Ed Winters / エド・ウィンターズ

Vegan Educator & Author & Public Speaker

1994年生まれ、イギリスのヴィーガン教育者&作家&演説家。Earthling Ed(アースリング・エド)名義のYouTuberとしても有名。


痩せ型の体型、中分けされた長髪、口の周りに蓄えた髭という容姿や言い聞かせるような演説、怒りや憎しみを持って討論を行わない姿勢からヴィーガン・ジーザス(Vegan Jesus)とも呼ばれる。


ハーバードやケンブリッジなどの世界主要大学、グーグル社、TEDxなどでヴィーガンに関する講義やスピーチを行なったキャリアを持つ。


  • 2016年、YouTubeチャンネル開始。

  • 同2016年、動物の権利を守るための団体Surge(サージ)を設立。

  • 2017年、ドキュメンタリー動画「Land of Hope and Glory(希望と栄光の大地)」を制作。

  • 2020年、保護された動物のための施設Surge Sanctuary(サージ・サンクチュアリ)を設立。

  • 2022年、初の書籍「This is Vegan Propaganda」を出版、ベストセラーとなる。


私が彼を推薦する理由は自身を教育者(Educator)と表現するその姿勢にあります。彼はヴィーガンでない人を決して責めたりしません。分かりやすく子供に説いて聞かせるようなその姿勢は英語がわからない人でも動画を通して伝わってくると思います。一方的に何が正しくて何が悪いかを論じている訳ではなく、実体験も交えながら我々に気付きや問題提起を与えてくれます。



オススメのヴィーガン動画


今回紹介する動画ではエド氏がどうやってヴィーガンになったかという実体験と動物性食品の背景に隠された事実をユーモアを交えて説明しています。


私の記事ではこの動画で語られていることを抜粋して文字に起こしています。日本語字幕のトレースではなく、本人の声を私なりに翻訳していますので別バージョンだと思って頂ければと思います。およそ30分の動画で日本語字幕も設定可。家畜の屠殺現場などのいわゆるグロい映像はないので安心してご覧いただけると思います。


ヴィーガンな人、ヴィーガンではない人、ヴィーガンを支持する人、ヴィーガンを支持しない人、全ての人に一度見てもらいたい動画です。


あなたが費やしてきた人生で当たり前に毎日やってきたことに対して、それで良いのかと問いかける30分間です。ぜひ善悪の概念を捨てて空っぽの頭で見ることをオススメします。



30分も時間を取れない方はぜひ、動画の下に続く私の記事を読んで頂ければ幸いです♪


"You Will Never Look at Your Life in the Same Way Again"

「あなたの生き方に対する考え方は今までと同じではなくなるでしょう」



一つのニュースが意識を変えた


私は生まれつきのヴィーガンではありませんしベジタリアンですらありませんでした。21年間、肉、乳製品、卵を食べてきました。味も歯ごたえも大好きで栄養と満足感を得るのが楽しみでした。


ドミノピザを毎週頼んでチーズの追加トッピングをしたり、KFC(ケンタッキーフライドチキン)にも頻繁に行ってスタッフさんにいつも頼む注文を覚えられるくらい本当に大好きでした。


レザー、ウール、シルク、ダウンジャケットもよく着ていましたし、シャンプーやソープを買うのに動物実験を経てるかなんて考えたこともありませんでした。動物が大好きで観察するのが好きだから動物園にもよく行きました。

ヴィーガンの倫理観は生まれつき備わっているものではありません。学んで育んでいくものなんです。そんな私の全てが2014年に変わり始めました。


ヴィーガンになる前の私がベジタリアンの友人とピザを頼んでいた時のこと、ベーコンのトッピングを拒否する友人に「ベーコン無しのピザなんてピザじゃないよ」と言うと友人は「ピザのトッピングのために動物が死ぬべきじゃない」と言うんです。「豚はそのために生まれてるんだよ。人間が豚に命を与える代わりに豚は人間にベーコンを与えてくれるんだ」これが私がかつて言っていたことです。

動物をなぜ食べるのか、動物をなぜ食べない人がいるのか、そんなこと考えたこともなかったし、動物を食べるのは自然なことだと思っていました。


そんな時にBBCで7000羽の鶏を運ぶトラックが事故で横転したというニュースを目にしました。およそ1500羽がその衝撃で死に、さらには羽や骨が折れ、くちばし、とさか、首が垂れ落ちた状態で生き延びて苦しんでいる鶏もいました。

どれほどの痛みに耐えているのだろうと思ったその時、冷蔵庫に鶏肉とKFCの残りが入ってることに気付き、そして動物に対するこの哀れみの感情が偽善であることに気付いたんです。


そもそも私がその肉を食べるから、そのニーズがあるから鶏たちはあのトラックにいたんだと。そしてこのニュースが私の生き方や行動、今まで気にも留めなかったことを見つめ直すきっかけになったのです。


どうして動物を苦しめることを正当化できるのか、私の味覚は彼らの命より大事なのかと。そして私はベジタリアンになりました。さらに、乳製品や卵製品の実態を知ることでヴィーガンになったんです。

この講義はあなたたちの気分を害するためのものでも、あなたを悪者にするものでもありません。この講義の目的は私がトラックの話から自分を見つめ直したように、あなた自身を問いかけるきっかけを作ることにあります。


「あなたの味覚は動物の命より大事ですか?」



「文化」や「伝統」という言葉の盾


不必要に動物の命を奪うことはどう正当化できるでしょうか?

一つの行動が社会の中に長く存在するとそれは標準化され、さらに時代を超えて文化の中に存在し続けると「伝統」になります。その伝統や文化が道徳的基準の範囲を外れてしまった例を見ていきましょう。

女性を男性より低い地位として扱う女性蔑視が許容される文化が世界には存在し女性器を切除する慣習が存在します。伝統とはいえ倫理的に受け入れることはできないはずです。

このロジックを人ではなく動物に当てはめてみましょう。中国のユーリン市(玉林市)で毎年行われる犬肉祭では何万匹もの犬や猫が殺され食べられています。韓国のボクナル犬肉祭でも何万もの犬や猫が殺されています。文化や伝統だからと言う理由でこれが倫理的に正当化されるでしょうか?


日本では数千頭のイルカが毎年殺され、フェロー諸島では数千頭のクジラが殺されています。伝統だから倫理的に良いのでしょうか?

でも犬、猫、イルカ、クジラを殺すことが他の文化圏にとって倫理的ではないのであれば、牛、豚、鶏、羊などを殺して消費している私たちの国はなぜ倫理的だと言えるのでしょうか?「今までいつもそうしてきたから」「伝統だから」「それが文化だから」と言うだけで正当化できることなのでしょうか?


動物によって見方が変わるこの社会における偽善的モラルに私はいつも違和感を感じます。なぜそうなんでしょうか?犬が殺されることに怒りや動揺を覚える人たちが牛、豚、鶏が殺されることに怒りや動揺を覚えるヴィーガンの人を笑うのはなぜでしょうか?


韓国で冬季オリンピックがありました。犬を殺すような国のオリンピックに参加すべきでないとボイコットを呼びかける声もありました。犬を屠殺から保護したアスリートは「英雄だ」と称賛されました。そしてそのアスリートは家に帰って牛、豚、鶏を食べるんです。なぜこうした倫理観の差別があるのでしょうか?

動物たちはみんな生きていて、考えることができて、感じることもできて、苦しむことだってできるし、愛情を示すこともできる。何より愛情を受ける権利があるでしょう。

我々の独断でどの動物が生きてどの動物が死ぬかを決める権利なんてあるのでしょうか?痛みを避けて、苦しみのない生き方を望んでいる動物たちに痛みを与えて、苦しませて、命を奪う権利はあるのでしょうか?



人間は肉食動物なのか


食肉を正当化するよくある言い訳は「それが食物連鎖だから」です。食物連鎖は自然の生態系を保ち、野生動物の数を一定に保つためにとても重要です。


ところが人間は私たちの手で動物を繁殖させています。強制的に妊娠させ、産まれれば赤ちゃんを親から引き剥がし、我々のためのものではない牛乳や卵を搾取し、屠殺場へ連れて行って逆さに吊るして、喉元を切って殺す。これは食物連鎖とはかけ離れています。


一頭の生きている豚をこの教室に連れてきたとします。この豚を道具を使わずに殺せますか?自然界の肉食動物は生まれ持った爪や牙を使って獲物を殺すことができます。何人の人ができるでしょうか?あなたが殺そうと近づけばおそらく寝転がって愛らしくお腹を出してくるでしょう。豚はお腹を撫でられるのが大好きですから。

我々に備わっている爪や歯には動物を殺すほどの機能は備わっていません。我々は生まれつきの肉食ではないのです。

では仮に殺せたと仮定してみましょう。目の前には死んだ豚とその内臓が広がっています。生の肉を食べますか?気色悪くて考えたくもない腸、肝、軟骨、靭帯、脳みそなどの内臓はどうでしょうか?こうした部分を目にすると人は「食べる気が失せる」と言います。「食べてるんだからそう言う話をするな」と言います。


なぜあなたのお皿の上に乗っている肉が加工される工程を見せられると食べる気が失せるのでしょうか?もし人間が生まれながらに動物を食べる生き物なのであれば、殺される過程を見ていられるだけでなく自分の手で殺せるはずです。


KFCのチキンの中に鶏の頭部が混ざっていたと言うニュースが昔ありました。SNSでも話題になりKFCに対して「KFC!どういうことだ!私が頼んだ死んだ鶏の肉の中に死んだ鶏の頭が入っているじゃないか!」というツイートもありました。実際に「学生がフライドチキンの中に死んだ鶏を発見」というタイトルのニュース記事がありました。


死んだ鶏を食べているんだから死んだ鶏の頭が入っていてそんなに怒り狂うことでしょうか?そうした物を見た途端に拒絶して食べる気が失せてしまうのです。それっておかしくないですか?その動物を食べるのであればなぜ身体の一部を見た時に食べる気が失せるのでしょうか?


この教室に牛を一頭連れてきて、よく尖ったナイフを用意したとします。私が「この牛の喉元を切れる人はいますか?」と言ったら手を挙げますか?牛の代わりに生後6ヶ月の子羊だったらどうですか?仮に誰かが手を挙げたとして、何人がそれに反対しますか?何人が止めますか?それとも教室を出て見て見ぬ振りをしますか?

道を歩いていて誰かが犬を虐めて傷つけているのを見つけたら止めに行きますか?仲裁に入りますか?それとも警察を呼びますか?犬の代わりに豚が目の前で虐められて殺されようとしていたらどうですか?それでも止めに行きますか?豚の命を助けますか?警察を呼びますか?

あなたの目の前で虐められている豚が、今度は壁の裏側の見えないところで虐められて殺されていたらどうですか?道徳的で倫理にかなっていますか?目に触れていない場所であれば殺すことは正当化されますか?

何人の人が動物が目の前で殺されることを反対しておきながら家に帰って豚、牛、羊の肉を食べているでしょうか?




「殺す」ことの道徳的価値観



ヴィーガンの本質は我々人間に備わっている道徳的価値観です。道徳的価値観とは善悪の概念を元に物事を正しく判断できることを指します。重要なのは下した判断に対して自分で説明ができると言うことです。

野生動物は彼らが下した判断を自ら説明することはできません。なのでライオン、虎、熊は私たちの倫理観の模範にはならないのです。彼らは生きるために食べる必要があるから殺すのです。


我々人間は違います。だからこそ我々の道徳的価値観として最小限の苦痛を伴う商品を購入する責任があるのです。また苦痛を伴っている商品を購入するのであればその行動を説明できてしかるべきなのです。


少し思考について実験をしてみます。赤ちゃん用ベッドに赤ちゃんがいるとします。その中には生きたウサギとイチゴも入っています。赤ちゃんはどちらを食べてどちらと遊ぶでしょうか?


FBIは猟奇殺人犯は子供の頃に動物虐待をする傾向にあるとしています。テッド・バンディもジェフリー・ダーマーも子供の頃に動物虐待をしていたと言います。子供の頃に動物虐待をしていると将来人間に危害を加える可能性があると犯罪心理学者が導き出しているのはなぜでしょうか?


ライオンも虎もジャガーも子供に殺し方を教えます。でも人間は子供に殺し方を教えません。なぜでしょうか?それは先天的な哀れみの感情に反するからです。


では例の赤ちゃんベッドで赤ちゃんがウサギを食べようとし始めたとします。きっとこの子をちゃんと教育しなきゃと思ったり、動物を食べるなんて何かこの子はおかしいと思うはずです。そしてそれこそが大人がしている「動物を食べる」ということなんです。

ではなぜ子供が動物を傷付けているのをみたくないのでしょうか?想像してみてください。すべての子どもが鶏の命は家で飼っている犬や私たち人間と同じくらい尊重されるべきだと教えられて育ったと。海を泳ぐ魚たち、出会うこともない魚、取るに足らない魚の命が苦痛や搾取のない人間に邪魔されない生活を送るべきだと教えられて育ったと。


そんな子供たちがどうしたら人種や性別や民族の違いといった不必要で的外れな理由で他の人を傷付けたりしいたげたりするような子に育つでしょうか?理由がなんであれ争ったり支配するようになるでしょうか?全ての命が大切で尊重され、愛情と尊さを持って扱われるべきだと教えられた子どもたちが他人を嫌う人間に育つでしょうか?



真実から遠ざけようとする畜産業界の狙い


畜産業界は我々がインターネットで目にする動画はショッキングで私たちを動揺させ傷付ける内容であることを知っています。だから私たちに真実を見せないのです。だからうまく宣伝されたラベルで実際に起こっている真実から遠ざけようとしているのです。


その良い例が「フリーレンジ(放し飼い)」です。私もかつてよく買っていました。放し飼い卵をスーパーで見かけた時、私たちは理想的な自由の形をそこに想像し、それを買うことはエシカルなことだと思ってしまうのです。

私たちにとって自由とは好きな生き方をしてやりたいと思うことをする人生です。友達や家族と過ごしたければ過ごすことができるのです。もっとも重要な点はそこに恐怖はなく、平和に仲良く暮らし、強制や不公平がなく、痛みのない人生を送ることです。


したがって放し飼い卵の箱を見た時、私たちは鶏たちが良い人生を送ったと信じるのです。友達や家族と時間を過ごし、何かを強いられたり不公平なく生活していたはずだと信じるのです。恐怖や苦痛もないと。

でもそうではないことを私たちは知っています。それが嘘だと知っています。放し飼いの鶏たちは養鶏場で管理され、卵を産まないオスはガスで殺され熱湯に通されて処分されるのです。

産まれてすぐメスのヒナは他の鶏を傷付けないようくちばしの先端を切り落とされ、小さな小屋に身動きが取れないくらい大量に敷き詰められ、その多くは太陽の光を浴びることも、新鮮な空気を吸うこともなく死んでいくのです。使い道のなくなった放し飼いの鶏の多くは屠殺されることも私たちも知っています。喉元をナイフで切られるのです。


間違えないでください。放し飼い(フリーレンジ)に「自由」なんて存在しません。


もう一つよく言われるのは「人道的で慈悲のある屠殺」です。人道的な手段で屠殺が行われれば容認できるし道徳的だと言います。どうしたら人道的に動物の命を奪うことができるのでしょうか?少し考えてみましょう。


「人道的」という言葉は愛情や慈悲の感情を示すことです。であれば先ほどの質問はこう言い換えられるはずです。どうしたら愛情や慈悲をもって死にたいと思っていない動物の命を奪うことができるのでしょうか?


そんなこと不可能です。人道的で慈悲のある屠殺とは矛盾した言葉なのです。動物の命を奪うことを正当化できない以上、存在しえない言葉なのです。


もう一つは「幸せな牛が幸せなミルクを作る」です。きっと今後よく聞くことになるであろうと私が思っている言葉でもあります。これについても考えてみましょう。


いくつか質問を並べてみたいと思います。牛は強制的に妊娠させられたら幸せだと思いますか?自分の赤ちゃんが奪われた牛は幸せだと思いますか?自分の赤ちゃんのために作られたはずの乳を搾取されて幸せだと思いますか?トラックに運ばれて屠殺場に連れていかれる牛は幸せだと思いますか?額にボルトガン(屠殺のための電気ショック銃)を当てられナイフで首を切られて幸せだと思いますか?

もう一度言います。間違えないでください。乳製品に「幸せ」なんて存在しません。


間違ったことを行う正しい方法なんてないんです。動物搾取は我々にとって不必要なものであり、どんな時でも間違ったことなのです。だからそれを行う正しい方法も存在しないのです。



広告やパッケージの嘘


畜産業界が巧みに行う宣伝やラベルに記載された嘘を信じてはいけません。


あなた方のお金が目当てで需要と供給を操作しているのです。これらの業界は皆さんが購入することで機能し続けています。もし皆さんが真実を知れば買わなくなるので、私たちに嘘をついて買いたくない物を買うように仕向けているのです。そうすることで動物搾取で利益を得ているのです。

これらの宣伝広告は我々の興味を引くための嘘なのです。こうしたラベルや幸せそうな動物の写真が掲載されているのを見た時に思い出してください。これらの動物たちは死ぬまで苦痛の中で生きているのです。


こうした動物たちに起こっていることは間違っていると多くの人は理解し倫理的ではないと思うはずです。ではこうした業界を無くすのではなく、仕組みを改善する方法はあるのでしょうか?牧場を人道的な場所にして放し飼いの鶏たちに本当の自由を与えてはどうでしょうか?

現実は、たとえ私たちが消費している動物たちに大きな緑の牧草地を与え、好きなように生きさせてあげることが環境的に経済的にかなったとしても、たとえ赤ちゃんを奪う必要がなくなったとしても、繁殖も強制妊娠もなくなったとしても、常に、必ず、絶対に、最後には命を奪う必要があるのです。


これが動物搾取の現実です。良い人生を与えていると言うには不適切なのです。屠殺はそれ自体が倫理的に正当化できないことなのです。


家畜福祉(アニマル・ウェルフェア)にお金を出すこともしてはいけません。家畜福祉は動物のためにあるものではありません。我々の罪悪感を落ち着かせるためにあるのです。

動物たちは自分たちの血肉の付いたラベルに何と書かれようが関係ありません。オーガニックだろうが、牧草で育とうが、トウモロコシで育とうが、福利厚生の整った良い環境で育とうが関係ありません。こうしたラベルが動物を守ってくれるわけではありません。私たちに商品を買わせるために罪悪感を消そうとしているのです。



家畜とペットの線引き


おかしなことに中国のユーリン犬肉祭に対して、倫理的に犬の命を奪っているとは言いません。大きなケージに入れて放し飼いにされていてもそれが倫理的だとは言わないのです。犬の命を食べるために奪うのは間違っていて倫理観に反していて完全に辞めるべきだと言うのです。


ユーリン犬肉祭を終わらせるための署名活動は、大きなケージに入れてあげることやラベルの記載内容を変えることを実現するために行われてなどいないのです。犬肉の販売と犬肉祭を完全に終わらせるために行われているのです。


ユーリン市で食べられているラブラドールレトリーバーのステーキに英国動物愛護協会の認証マークが貼られていたら倫理的でしょうか?チワワ犬のミンチにレッドトラクター(英国の食品品質認証機関)の認証マークが貼られていたら倫理的でしょうか?

アジア圏で殺されている全ての犬や猫を自国へ連れてきて自国の屠殺場で自国の家畜と同じ方法で殺したらあなたにとってそれは倫理的に見えるでしょうか?もし倫理的じゃないのであれば、どうして同じ方法で殺されている他の動物たちは倫理的な方法で殺されていると言えるんでしょうか?


もしあなたに犬、猫、ハムスター、うさぎなどの愛するペットがいて大切にしているとして、そのペットを安楽死しなければいけなくなったとします。そのために屠殺場へ連れて行くことを選びますか?もしも答えがノーなら屠殺場がいかに倫理的な場所かと言うことの答えはすでに出ているのです。


動物たちにも与えられた命は一つだけです。そのたった一つの生きる機会を肉や乳が美味しいからという理由で奪える私たちは一体何者なんでしょうか?一回の食事など取るに足らないわずかな時間の出来事です。その食事のこともすぐに忘れてしまうことでしょう。


しかしその一回の食事には一つの動物の存在そのものが費やされ、数分の満足感のために命が奪われているのです。何の権利があってそんなことができるのでしょうか?人間という種としてだけでなく、我々一人一人、個々においても同じことが言えます。


我々の味覚は動物の命より重要なんでしょうか?もし動物を殺すことが必要の無いことだとしたら、どうやってこれらのことを倫理的に正当化できるでしょうか?





プラントベースダイエット


ヴィーガンになって、今までに楽しみに食べていた料理は今でも全部食べることができています。


チーズ、ボロネーゼのスパゲティ、ラザニア、カレー、ブリトー、ナチョス、タコスなどなど。カップケーキ、マフィン、チーズケーキ、チョコレート、スイーツも。かつて好きでたまらなかったもの食べています。


ただ違うのは、動物を傷付けることなくそうしているという点です。死んだ動物の肉、搾取された動物の乳、筋や骨、ホルモンも一切無し。抗生物質だって入っていません。

全て植物性の原料で作られている。それだけです。簡単でしょ?


中にはヴィーガンは制限ばかりだという人がいます。ヴィーガンになる前に私が選んでいたミルクは牛のミルク。今ではオーツミルク、ライスミルク、ソイミルク(豆乳)、ココナッツミルク、アーモンドミルク、カシューナッツミルク、ヘーゼルナッツミルク。ヴィーガンになる前には聞いたこともない食材を使って料理をしています。


かつては冷蔵庫を開けると死体安置所のようで主に鶏の死肉、たまに牛の死肉や豚の死肉が入っていました。今では料理を楽しくしてくれる色とりどりの庭園のようです。ヴィーガンになることで料理をする方法も変わり、今までより自炊して味付けを模索することが楽しみになりました。


アメリカとイギリスで最大手のアメリカ栄養士会とイギリス栄養士会はヴィーガンのプラントベースダイエットで十分な栄養が摂取でき、妊娠中の人も含めてどの世代でも健康で安全な食生活だと明言しています。


つまり、健康を維持するために必要な全ての栄養やビタミンはプラントベースダイエットで手に入るのです。根本的に動物搾取や動物を利用することは完全に不必要であるということなのです。


現代社会において、動物搾取は存在する理由がない廃止されるべきものなのです。私たちの身体が元々食べるべきだったものを食べれば良いのです。



健康被害や環境破壊の責任



もう一つこのことが要約されている例としては、地球上で最も大きく強い動物である象、サイ、カバの共通点は草食動物であるということです。


そして皮肉にもカバは陸上動物の中で最も大きな犬歯を持った動物なのです。従って人間には肉を引き裂くための犬歯が備わっているという理由で肉食を正当化することもできないのです。


ゴリラのDNAは人間と98%一緒でほとんど同じ消化器官を持っています。稀に虫を食べることを除けば彼らも草食動物で、強く健康であるために肉や動物性食品を食べる必要はないのです。


「雄牛のように強くなるために人間は肉を食べる」という表現があります。牛が草食動物だということは置いておいたとしても、強くなるために動物を食べる必要はないのです。


ヨーロッパ社会で問題になっている主な病気である心臓病、乳がん、前立腺がん、大腸がん、2型糖尿病、骨粗しょう症、認知症、高血圧症、脳卒中。こうした病気は全て動物性食品を食べることが大きく関わっています。

特に重要な点は、プラントベースダイエットに切り替えることがこれらのリスクを避けられるだけでなく、回復させることに役立つケースもあるということなんです。ヨーロッパの各地で心臓病や2型糖尿病を改善させた事例があります。


家畜産業は環境破壊の責任も負っています。


世界中のすべての交通機関が排出する温室効果ガスの量より、家畜産業が排出する温室効果ガスの量の方が多いですし、アマゾンの森林伐採の91%は家畜産業によるものです。土壌浸食、砂漠化、海洋生物が生存できなくなってしまう海洋デッドゾーン。


実際、このまま行くと2048年までに海から魚が消えると専門家は推測しています。我々の生きてる間に、魚のいない海になってしまうのです。家畜産業は我々人間の次に多い種である魚の絶滅の責任もかかえているのです。



間違えないでください。動物性食品を食べて身体に悪影響のない人なんて地球に存在しません。「我々の味覚は動物の命より大事ですか?」もはやこの質問では足りません。質問はこうあるべきです。


「我々の味覚は動物の命より大事で、さらに我々人類の存続より大事で、自分たちの住む惑星の存続より大事で、つまり地球上の全ての生命より大事でしょうか?」



どんな未来になるかは今の行動にかかっている


自分の子供や孫の世代にどんな未来を残したいでしょうか?


国連は気候変動をなくすには世界がプラントベースダイエットに転換する必要があると明言しています。ヴィーガン活動家が説いている訳ではありません。ヴィーガンの団体が提唱している訳でもありません。ヴィーガンによる洗脳でもありません。あの国連がはっきりと明言しているのです。


もし生き方を変えなければ私たちがその代償を払うことになると。この世代が今日我々が起こしている行動の代償を払うことになると。そう警告しているのです。


毎日、毎秒と使い捨てられているこの地球上で、十分すぎるほど揃った情報をもって、ここまでに挙げてきた質問をみなさんに残していきたいと思います。この動画だけでなくスマホやパソコンでアクセスできる事実や偏見なく公平な目線で得られる情報があります。


動物性製品を扱う企業が抑圧したい動物性製品の利用による健康被害や環境破壊といった情報があるのです。


「私が変わるのは今なのではないか?」と自分たちに倫理的に問い掛ける必要性があると思いませんか?自分勝手に見て見ぬ振りがまだできますか?日々の自分の行動が悪影響を与えていない振りがそれでもできますか?


あるいは、たとえそれがどんなに小さな取るに足らない消費行動だとしても、他の動物や地球に甚大な影響を与えていることを受け入れながら生活を続けますか?スーパーでの買い物を通して壊れゆく未来に毎日一票を入れていきますか?動物の虐待が続く世界と動物搾取のない世界のどちらに一票を投じますか?


私たち個々の消費行動や買い物は地球に与える影響や被害を考えるには遠すぎてしっかり理解できないでしょう。しかしそこに存在している事実を理解しなければならないのです。


今日私が皆さんに考えて頂きたい質問は、「どんな言い訳がまだ残っているのか?どんな倫理的正当性ならまだ使えるのか?」もし一つも思い浮かばないなら自分にこう問いかけてください。


「私が変わるのは今なのではないか?」


ご視聴ありがとうございました。



 


最後に


最後までご覧いただきありがとうございます。私はきっとこれを見た多くのヴィーガンではない人はそれでも動物性の食品を食べると思います。これらの事実を知った上で食べることは大きな一歩だと私は考えますが、いずれ忘れて意識しないいつもの生活に戻るのもまた人間だと思います。


少しでもこの動画が刺さった方はぜひ、海外のヴィーガン活動家の動画をYouTubeなどで見てください。人気の動画ですと日本語の字幕が付いているケースも結構あります。


当店はヴィーガンではない商品も扱っていますが今後はヴィーガン商品にフォーカスしていきます。このページでもヴィーガンに関する情報発信を続けたいと思いますのでぜひ定期的にのぞいて見てください。他にも紹介したい動画や活動家、私の実体験などヴィーガンではない人に特に見て欲しい内容を更新していく予定です。(頻度は遅いと思いますが、、、)


最後に、ここまで読んでくださった方はきっとヴィーガンやエド・ウィンターズに興味が高まっていると思います。そんな皆さんはぜひ下記の彼のオフィシャルウェブサイトに登録して無料のE-Bookを手に入れて見てください!



Earthling Ed


ページ一番下のメールアドレス登録で無料の電子書籍「ノンヴィーガンによる30通りの言い訳とその対応(30 Non-Vegan Excuses & How to Respond to Them)」のダウンロードURLを取得可能。日本語バージョンあり。


オススメのお酒

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